その日も、いつものように朝のオフィスで、調査会社に勤める剛は、熱いコーヒーに口をつけ、デスクの書類に目を通す。そうしながら、どこか今のこの自分が現実とは徐々にかけ離れていくような印象が拭えない。1枚1枚書類をめくっていると、呼び出しのブザーが短く鋭く鳴る。 「Yes?」 「Takeshi, could you come to my office, now?」 上司のリック・ヌッセンバウムのオフィスに入ると、机には何やら古びた書類の束と、開かれた手紙が一通のっている。上司の顔つきは神妙ではあるが、かといって残虐な事件を扱う時のような、悲痛な表情は見受けられない。どちらかというと、まるで何かの歴史的使命を帯びた時の様な印象を与えていた。剛が部屋へ入ると、上司はゆっくりと顔を上げる。その動作はどこか重々しかった。 「どうしてもやってもらいたい仕事がある」 「どうしてもというのは?」 「名指しだ。あるご夫人から」 「そのご夫人の名前は?」 「今日、面会に来る。ボスを通して仕事が依頼されてきた」 そして ヌッセンバウムはしばらく沈黙する。 「その夫人から、じきじきに、お前なら必ずやってくれると」 「どうして?」 「私にもその点は説明がない」 言いながら彼はじっと剛の目を見据える。 「調べて欲しい事があるそうだ。午後、彼女がここに来るので、直接話を聞いて欲しい」 「わかりました」 その日の午後、剛がガラス越しにニューヨークの変形してしまったビル群の影を眺めていると、内線のブザーが鳴り、ボスの呼び出しがかかる。手にしていたコーヒーカップをゆっくりとデスクに置いた時、一瞬目の前を何かがよぎったかのように眉間に皺を寄せる。長く、規則正しい配置の廊下を歩いていくと、自分の靴音がまるで宿命の鐘の様に床に当たって響く。スローモーションの様に周囲の人々が後ろへ立ち去り、今までの人生が急に現実世界から離脱し、その破片の中から何かを拾い出し、別の人生の再構築を音もなく始めていた。 まるでほんの少しワープしたかのように、気がつくと目の前に指定された、No.1945の扉があった。ゆっくりとドアを開けると、黒い服に身を包んだ背の高くない年配の女性がじっと剛を見つめた。入れ違いに、上司は部屋を出て行った。 「私は」 話し始めた夫人を片手で制して、 「あなたのことはもちろん覚えています」 夫人はそれを聞い...