ろまんくらぶ「Thirteen 13ー再生ー」11
「あなたは、何か食べますか?」 「家、私は、先ほど食事を済ませてきたので、、」 「そうですか、じゃあちょっと」 「ごゆっくり。ここで待っています」 車を降りると、剛は大股で駐車場を横切って行く。硝子貼りのドアを通り抜けた途端、その身長と相まってアメリカ人特有の、どこか大きくリラックした動きが人目を引いていた。どことなく通常の日本人とは見えないばかりか、その隠された任務が要求する緊張が伝わったせいなのか、店内で列を作っていた日本の人々は少し避けるような動きをする。 「俺が怖いんだろうな」 そう、思わず英語で呟く。 「いらっしゃいませ、チョイスはいかがですか?」 「かしこまりました。ご一緒にポテトはいかがですか?」 世界中で繰り返される似たような決まり文句。その一方で、逆にどこへ行こうとも食べられるというある種の安心感。外国で、孤独が極限状態にまで達した時、貧しさが襲ってきた時、例え様々な避難があろうとも、ただそのチェーン店だけがそこに待っていた。皮肉にも世界の貧しい人々が集まるところ。最悪飢えなくてすむところ。今どき500円でルパ・コンプレ、飲み物と、メインと、サイドディッシュが食べられるところはなかった。一日一食をそこで済ませる者がいて、また、余っているポテトをかき集めて持ち去るホームレスが出入りする姿も見受けられる。アメリカのそのシンボルは、世界に拡大しつつある南北対立の現れでもあった。それが世界中どこにでもあるから、皮肉にもある人々にとってアットホームだったりする。そして、産まれて以来、家庭らしい家庭を持ったことのない者にとって、ファストフードレストランが悲しいことにダイニングキッチンの役割を担っていた。 アメリカ人である剛は、だからこういった店を否定も肯定もしていなかった。それに景気の動向を測るのには便利だった。ファストフード店の値段を見れば、景気が良いのか悪いのかよく分かる。 そこが外国でも何処でもなく、ただファストフードの店内であるという、その奇妙な安心感を、剛は日本で初めて味わった。