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ろまんくらぶ「仮面の天使」96

「は〜、どうしたんだろう」 ついついため息が漏れてしまう健。 「さむっ」 台所はガス火が消えるとすぐに冷えてくる。彼はエアコンを少し強めにする。 熱々だったトンカツも冷えてしまって、何だか心も凍えてくる。 ココアをいれようと彼はカップに粉末を入れ、お湯を沸かす。お腹のぐうっという音がする。どうしようか、何か食べようかと彼は冷蔵庫を開ける。生ハムとナッツ、カマンベールが目に入る。少し何か摘んで待っていようか。そう思うとガスの火を止め、半分残っていた赤ワインを取り出す。おつまみをお皿に盛ると、ワインをグラスに注ぐ。茉莉と飲もうと買ってあったビールを冷やすのを忘れていたため、冷蔵庫に入れる。 「カンパイしたいな」 1人でワインに口をつけると彼はつぶやく。 「カンパイ。ふたりの再出発のために」 独り言を言う。空きっ腹にアルコールが効いたのか、彼は割とすぐいい気分になる。半分空いたワインはそう言えば彼女に飲ませたいと彼女に謝りたいと、少し前に買ってあったとっておきのものだった。滑らかで繊細な舌触り、深くて重くない。きっと茉莉がもっと年齢を重ねたら、そんな感じになるだろうと思わせるような、、。 時計の音は遠のき、健は少しうっとりと夢想に浸る。

ろまんくらぶ「仮面の天使」95

 コチコチ、コチコチ、と規則正しく聞こえる音が段々と健の耳についてくる。 「どうしたのかなあ」 時計は9時を過ぎている。大きなため息をつくと、健は再び、調理に取りかかる。冷蔵庫からバットを出し、ラップを外す。油を火にかけると温まるまで、ダイニングの椅子に腰掛ける。茉莉に何かあったのではないかと心配で、それに気を取られてしまう。油が温まり、衣を落とすとパチパチと音を立てて浮き上がってくる。仕方ない。揚げておこうか。彼女には揚げたてを食べてもらいたかったものの、彼女が帰ってきてから揚げていたのでは、夕飯が遅くなってしまう。もう十二分に遅いのに。 衣のついた肉を滑らせるように油へ入れると、ジャッと音がして、細かい泡に肉が包まれる。揚げている音が台所に響き、そのうちに香ばしい匂いがしてくる。パチパチ、パチパチと音がしてきて、衣が狐色にこんがりとしてくる。少し軽くなったところでカツを油から引き上げる。 「よし、なんかうまくいったかも」 健の気分は持ち直す。あとは茉莉の「ただいま」が聞きたかった。 「ただいま。今日は疲れちゃった」とか「わあ、美味しそう」とか「いい匂い。お腹ペコペコ」とか、、、何気ない一言一言が今の健にとっては宝物のように光り輝く。 「さてっと」 トンカツをお皿に乗せ、キャベツを盛ると、彼は念入りにラップをかける。お味噌汁も出汁に具材を入れて一煮立ちさせておく。カチッと火を止めると、台所は再び静寂に包まれる。 コチコチ、コチコチ、、、10時になってしまう。

ろまんくらぶ「仮面の天使」94

「玉木雅矢、、、か」 渡されたチケットを茉莉はじっと見る。バーテンダーはふたりが少し近づけばいいなあといい加減に考えていた。 「もう一杯」 「濃くします?」 「ううん、普通で。なんだか酔いがさめそうだけど、いいの」 「かしこまりました」 茉莉はカウンターに立ててある小さいメニューを手に取る。 「あと、コレ、ハニーピザとポテトチキン」 「お時間少々かかりますけれど、お席に運びましょうか?」 「うん、そうして。席はあそこの」 「かしこまりました」 グラスを手に取ると茉莉はフロアーの横の通路を行き、自分の席に向かう。戻ると京子と智子が興味ありげに茉莉を見る。 「見た。見たよ」 茉莉はちょっとため息をつく。 「ああ、彼のこと?」 「そう。バーのとこで何話してたの?」 チケット3人分を茉莉は差し出す。 「来てくれないかって招待された」 「え?そうなの、、、どれどれ、、、玉木雅矢、、」 「知ってるその人。ちょっと有名。作曲家の中では」 智子が嬉しそうな声を出す。 「そうなんだ。どんな曲作るの?」 「うーんと、少しテクノがかっているけれど、基本現代音楽みたいな。あんまり流行りとは関係なさそうな」 「踊れる?」 京子はとんちんかんなコトを言う。 「あー、踊るとか、そういう曲ではないみたいだけど」 智子は真面目な顔になる。 「面白いの?」 今度は茉莉が尋ねる。 「どうだろう。まあ、行ってみてもいいかも」 3人は招待券をもらって、行く気になっているようだった。 「おまたせいたしました」 ごくごく若いウェイターが料理を運んでくる。 「あれ、頼んでないよ」 京子がつぶやく。 「いいの、私が頼んだの」 茉莉が店員にお皿を置くように促す。 「これ、何?この黄金色の」 「それ、ハニーピザ。甘いと思う、蜂蜜だから」 「美味しそう」 「ありがとう、茉莉」 3人はちょっとした料理を前に無邪気に喜んでいる。 そしてマンションでは健が台所で1人、時計のコチコチいう音を聞いていた。

ろまんくらぶ「仮面の天使」93

 それでも京子と智子はその彼のことを詮索する。 「わりとカッコイイ」 「ね」 「茉莉ったらじっと見てたじゃん」 「あー、うーん」 周りがけしかけそうになると逆に引き気味になる茉莉。何だか今は恋愛に積極的になる気になれない。友人2人はそんな茉莉の気分に気づいてはいないようで、興味津々で彼を観察している。 「あれ?茉莉は?」 「ほんと、えーっと」 茉莉は2人の側を離れ、フロアーから出るとバーへ向かう。 「何にします?」 「うーんと、ボンベイ、ソーダ割り。強くして」 「いんですか、そんなに飲んで」 「いいのいいの。こう見えて」 「わりと強い」 「そ。わかる?強くなったの」 ベビーフェイスの彼女は頬がほんのり色づく程度にしか酔ってはいない。 「お待ちどうさま」 「ありがと。あと、何か軽く食べるものある?」 「ミックスナッツ、クラッカーチーズ、、」 「あ、それ、クラッカーチーズ。ちょっと小腹が空いてきたの」 「かしこまり」 バーテンダーは手早くチーズをスライスするとナチュラルクラッカーを添えて茉莉の前に出す。 「席にお持ちしましょうか?」 「いい。ここで食べる」 彼女は席に戻ると京子や智子と男の話をする羽目になりそうで、バーのカウンターでクラッカーをつまみ始める。そこにさっきの物憂げな彼がやってくる。 「お客さん、テキーラもう飲んじゃったんですか?」 「まあね。俺強いんだ。っていうか相手がすごい飲んじゃって。水くれる?」 「かしこまりました」 「それと、、、あ、俺もコレ、クラッカーとチーズの」 「トルティーヤもありますよ?」 「いんや、このクラッカーとチーズの」 「かしこまりました」 そこで男は茉莉に話しかけてくる」 「さっき踊ってたよね」 「まあね」 茉莉は少し面倒くさそうに答える。バーテンダーは2人の距離を縮めようとわざとチーズをゆっくりと切る。こういう男女の出会いは側で見ていて悪くはないと勝手に思っていた。男は突然、名刺を差し出す。 「ミュージシャン?」 「ちょっと違う。コンポーザー。作曲してる」 「そうなんだ」 「よかったら今度聴きに来ない?」 彼はチラシを差し出す。なーんだ宣伝か、と茉莉が言い出す前に、彼は招待券を3枚渡そうとする。 「3人で来てよ」 「え?見てたの?」 「まあね。なんかちょっと目立ってるよ、君たち」 「あ、そっか、ありがとう。コレいいのかな...